「突き刺した者、わたしを仰ぎ見る」とは
2024年12月に、私の家にエホバの証人が尋ねてきました。複数回話し合いを重ねていく中で、ゼカリヤ12:10から質問しました。「突き刺した者、わたしを仰ぎ見る」とあるが、この「わたし」とは誰かについてChatGPTに聞いた結果をそのエホバの証人に提示しました。その証人は、それに対してはっきりとした答えを私に聖書から回答することができませんでした。
これは非常に重要な問いになります。エホバの証人が真理に目覚める大きなきっかけとなる聖句です。彼らは、この聖句を開いてもこの「わたし」をエホバであると認めることはしません。彼らの教理に囚われたままでは決して認めることなどできないのです。
それほど大きな問いについて、ChatGPTがどのように返答したのかを一緒に観てみましょう。
ゼカリヤ12:10では、「突き刺した者、私を仰ぎ見る」とありますが、原文に、「わたし」とありますか?またわたしとはヤハウェを指していますか?
ChatGPTによる回答
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ゼカリヤ書12章10節の原文(ヘブライ語)には「わたし」という言葉が含まれています。この節は以下のように訳されています(ヘブライ語からの逐語訳):
「彼らは突き刺したわたしを仰ぎ見る。」
(וְהִבִּיטוּ אֵלַי אֵת אֲשֶׁר־דָּקָרוּ)
- 「エライ」(אֵלַי) は「わたしに向かって」という意味で、「わたし」を指します。
- 「突き刺した」(דָּקָרוּ) の対象は「わたし」(אֵלַי) であり、ここではヤハウェが語っている文脈にあります。
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ヨハネ19:37「彼らは自分たちが突き刺した方を仰ぎ見る」
黙示録1:7「その方は雲とともに来られる。全ての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。」
ダニエル7:13「人の子のような方が天の雲とともに来られた。」
使徒1:11「天に上げられたこのイエスは、天に昇っていくのをあなたがたが見たのと同じ有り様で、またおいでになります。」
第一テサロニケ4:16「主ご自身が天から下って来られます。」
考察:天の雲とともにやがて来られる方はイエス・キリストであり、突き刺された方もイエス・キリストである。
となると、ゼカリヤ12:10にある「わたし」「エライ」(אֵלַי)をどう解釈したらよいだろうか。
新世界訳では、ゼカリヤ12:10が「彼らは自分たちが刺し通した人を見つめ」とあります。「エライ」(אֵלַי)を人とする翻訳も可能ですか。
ChatGPTによる回答
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ゼカリヤ12:10における「エライ」(אֵלַי) を「人」と訳すことは、原文から見て適切ではありません。「エライ」(אֵלַי) は一人称単数の「私に」「私を」という意味であり、この文脈ではヤハウェ自身が語っていることから、通常は「私」という一人称の主体を指します。
新世界訳の翻訳について
新世界訳の翻訳は「彼らは自分たちが刺し通した人を見つめ」という表現になっていますが、以下のような翻訳方針や解釈が関与している可能性があります:
- 神学的解釈の影響
新世界訳を翻訳したエホバの証人は、三位一体を否定する立場を取ります。そのため、「刺し通された者」をヤハウェ(神)そのものと結びつける解釈を避ける可能性があります。
この神学的立場が、「エライ」を「人」と解釈した翻訳に影響を与えた可能性があります。
- 文脈の調整
原文では「エライ」(私を)とありますが、「刺し通した者」という具体的な対象を人間的な存在(例えばイエス・キリストなど)に限定するために、意図的に「人」を挿入したと考えられます。
翻訳上の問題点
ヘブライ語の文法的観点から、「エライ」(אֵלַי) を「人」とすることは文字通りの翻訳ではありません。「エライ」は常に一人称の主体を指し、直接「人」を意味する語句ではありません。
結論
新世界訳のように「エライ」を「人」と訳すことは、原文の逐語的な翻訳ではなく、解釈的翻訳と言えます。この翻訳は特定の神学的立場を反映している可能性が高く、ヘブライ語本文そのものの意味に忠実であるとは言い難いです。原文に忠実な翻訳では、「彼らは刺し通した私を見つめる」という形になるべきです。