キリストの再臨は1914年でしたか?

このテーマについても、私のもとに訪れたエホバの証人に問いました。
エホバの証人にとって、1914年にキリストが目に見えない様で臨在したという主張はアキレス腱です。
この主張が万が一間違っていた場合、その組織の存在意義がゼロになるからです。彼らにとってこれは絶対に譲ることのできないテーマなのです。
では、この問題についてChatGPTがどのように回答したのか一緒に観てみましょう。

エホバの証人は、キリストの再臨が1914年に訪れたと主張しています。 その根拠となっている聖句は以下の通りです。
・ダニエル4:10-17 ・ダニエル4:20-36 ・第一歴代29:23 ・ルカ21:24 ・黙示録12:6,14 ・エゼキエル4:6 ・マタイ24:3 ・第二テモテ3:1
その通りに解釈することは可能でしょうか。また、バビロン捕囚が607年だと主張しているのもエホバの証人だけのようですが、その根拠とそれを立証することは可能でしょうか。

ChatGPT:

エホバの証人が1914年をキリストの再臨(正確には「見えざる臨在」)の年と主張する根拠は、主にダニエル書4章の「七つの時」とルカ21:24の「異邦人の時が満ちる」ことを結びつける独自の解釈に基づいています。しかし、その解釈にはいくつかの問題点があります。

① 1914年の計算の根拠

エホバの証人の教理では、ダニエル4章の「七つの時」(ダニエル4:16)を象徴的な期間と解釈し、これを「異邦人の時」と関連付けて以下のように計算します。

  1. 「七つの時」=2520年説
    • 「一時=360年」として、「七つの時」=360年×7=2520年とする。(エゼキエル4:6と黙示録12:6, 14を参考)
  2. バビロン捕囚が始まったのを紀元前607年と設定
    • これが唯一の出発点だが、歴史学的にはバビロン捕囚は紀元前586/587年が有力。
  3. 2520年を足して1914年を導く
    • 紀元前607年+2520年=1914年(0年は存在しない)

この計算が成り立つには、以下の前提が必要です。

  1. ダニエル4章の「七つの時」が、バビロン捕囚と関係があること。
  2. ルカ21:24の「異邦人の時」と結びつくこと。
  3. バビロン捕囚が紀元前607年であること。

しかし、これらには問題があります。


② 解釈上の問題点

  1. ダニエル4章はネブカドネザルの個人的な経験
    • ダニエル4章の文脈では、「七つの時」はネブカドネザル王が狂気になり、7年間動物のように暮らしたことを指します(ダニエル4:20-36)。これは象徴預言とは言い難いです。
  2. 「七つの時」を異邦人の支配と結びつける根拠が不明確
    • ルカ21:24の「異邦人の時が満ちる」について、聖書は期間を明示していません。
    • ダニエル書の「七つの時」を「異邦人の時」に適用することは文脈的に根拠が薄いです。
  3. バビロン捕囚は紀元前607年ではなく、586/587年が有力
    • 歴史的証拠(バビロニアの記録、考古学的発見)は、バビロンによるエルサレム崩壊が紀元前586/587年であることを示しています。
    • エホバの証人以外の歴史家・学者は607年説を支持していません。
    • もし捕囚の開始が607年ではないなら、2520年を足しても1914年にはなりません。

③ まとめ:1914年説は成り立つか?

エホバの証人の1914年の計算は、

  1. ダニエル4章を象徴的な預言として解釈すること
  2. 「七つの時」を2520年と換算すること
  3. 紀元前607年にバビロン捕囚が始まったとすること
    という3つの前提が必要ですが、どれも聖書的・歴史的根拠が乏しいため、正当な解釈として受け入れることは難しいです。

もしエホバの証人の主張を検証するなら、

  • ダニエル4章の「七つの時」がメシアの王国に関するものだとする確かな根拠
  • ルカ21:24との明確な関連性
  • 紀元前607年のバビロン捕囚を証明する確固たる歴史的証拠
    が必要ですが、現状どれも不十分です。

そのため、1914年がキリストの再臨の年であるとする主張は、聖書解釈としても歴史的事実としても支持できるものではないと考えられます。

4o

バビロン捕囚が紀元前607年に始まったとする聖書的な根拠はないのですか?

ChatGPT:

エホバの証人がバビロン捕囚の開始を紀元前607年とする聖書的根拠として主張するのは、エレミヤ25:11-12エレミヤ29:10にある「70年」という期間です。

エレミヤ25:11-12(新共同訳)

「この地はすべて廃虚となり、驚くべき光景となる。これらの国々はバビロンの王に七十年間仕えなければならない。七十年が終わると、わたしはバビロンの王とその国を、その罪のゆえに罰し、カルデア人の国をとこしえに荒れ果てさせると、主は言われる。」

エレミヤ29:10(新共同訳)

「まことに主はこう言われる。バビロンで七十年の時が満ちるとき、わたしはあなたたちを顧み、あなたたちに対して行ったわたしの恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に帰らせる。」

エホバの証人は、これらの聖句に基づき、バビロン捕囚が「70年間」続いたと解釈します。そして、捕囚が終わった年(ユダヤ人の帰還開始)を紀元前537年とし、そこから70年を遡ると607年になるという論理を展開します。


しかし、607年説には大きな問題がある

① 「70年」の解釈の問題

  • 聖書の「70年」がエルサレムの完全な荒廃の期間を指すとは限らない。
    • ダニエル9:2では、ダニエル自身が「70年」について理解を求めて祈っている。
    • ゼカリア1:12も、「エルサレムとユダが荒廃して70年」と言うが、具体的な開始年については言及していない。
  • 他の解釈として、バビロンの支配期間が70年とする説もある。
    • バビロンの覇権は紀元前609年のアッシリア滅亡後から紀元前539年のバビロン陥落まで、ちょうど約70年間。
    • これはエレミヤ25:11の「これらの国々はバビロンの王に七十年間仕えなければならない」と一致する。

② 歴史的証拠が607年説を支持しない

  • 現代の歴史学では、バビロンによるエルサレム陥落は紀元前586/587年が確定的。これは以下の歴史的資料による。
    1. バビロニアの記録(ナボニドゥス年代記)
      • バビロン王ネブカドネザル2世の治世に関する年代が明確に記録されており、エルサレム崩壊は紀元前586/587年である。
    2. バビロンの楔形文字の天文学的記録
      • バビロンの天文学的観測記録(VAT 4956)は、ネブカドネザル2世の37年目を紀元前568/567年とし、逆算すると紀元前586/587年がエルサレム滅亡の年となる。
    3. エジプトとアッシリアの記録も同様の年代を示す
  • もし捕囚が586/587年に始まったなら、70年後は516/517年となり、エホバの証人の537年帰還説とは一致しない。

結論:607年説を聖書で立証するのは難しい

  • 「70年」がエルサレムの完全な荒廃を指すとする解釈は、文脈的に疑問が残る。
  • 歴史的記録は607年説を支持しておらず、むしろ586/587年を明確に示している。
  • 「70年」の解釈を「バビロンの支配期間」とするなら、聖書の記述と歴史記録が矛盾しない。

そのため、607年説を聖書だけで確証するのは困難であり、歴史学的にも支持されていません。

エホバの証人の創始者は、キリストの再臨の日時を預言したということでしょうか。

ChatGPT:

エホバの証人の創始者である**チャールズ・テイズ・ラッセル(Charles Taze Russell)**は、キリストの再臨(「見えざる臨在」)の時期を計算し、具体的な年代を預言しました。

彼は1874年にキリストの再臨が始まり、1914年に神の王国が地上に樹立されると考えていました。つまり、ラッセルは1914年を終末のクライマックスとする預言を行っていたのです。


ラッセルの預言の流れ

  1. 1874年:キリストの「見えざる臨在」の開始
    • ラッセルは、キリストが1874年に「霊的に」地上に戻り、見えざる形で支配を始めたと信じていました。
    • 彼の信念は、ウィリアム・ミラー派(セブンスデー・アドベンチストの源流)の計算に影響を受けており、「1914年に終わる40年間の終末期間」が始まったと解釈しました。
  2. 1914年:世の終わりと神の王国の地上支配の開始
    • ラッセルは、1914年に「諸国の終わり」が訪れ、神の王国が樹立されると予言しました。
    • 彼の著書『ものみの塔』や『千年期の夜明け』シリーズでは、1914年に地上の王国が崩壊し、メシアによる支配が始まると主張しました。

1914年以降の修正

しかし、1914年になってもキリストが地上に公に現れることはなく、ラッセルの預言通りにはなりませんでした。
そのため、ラッセルの後継者である**ジョセフ・フランクリン・ラザフォード(J.F. Rutherford)**は教義を修正し、次のように変更しました。

  • 1914年にキリストは「見えざる王」として天において支配を開始した。
  • これにより、キリストの「見えざる臨在」は1874年ではなく1914年に始まったと解釈を変更。

現在のエホバの証人の教義では、キリストの再臨(見えざる臨在)は1914年に始まったとしていますが、これはラッセルの元の教えとは異なります。


結論

ラッセルはキリストの再臨(見えざる臨在)を1874年と預言し、1914年には終末が訪れると考えていた。
しかし、その予言は成就せず、後継者ラザフォードが教義を修正して現在の「1914年にキリストが支配を開始した」という教えになったのです。

したがって、ラッセルはキリストの再臨の日時を預言しており、1914年が「世界の終わり」となると考えていたが、それは的中しなかったと言えます。

4o

それは聖書の中に書かれている明確な偽預言だと言えるのではないですか?

ChatGPT:

はい、聖書の基準に照らすと、チャールズ・テイズ・ラッセルの預言は偽預言と見なされる可能性が高いです。

① 聖書における偽預言の基準

聖書は、神からの預言偽預言を明確に区別しています。特に、申命記18:20-22は、預言が成就しないなら、それは神からのものではないと教えています。

申命記18:20-22(新共同訳)

しかし、預言者がわたし(神)の名によって、わたしが命じていないことを語ったり、他の神々の名によって語ったりするならば、その預言者は死なねばならない。
あなたがたは心の中で、「その言葉が主から出たものであるかどうか、どうして知ることができようか」と言うかもしれない。
その預言者が主の名によって語っても、その言葉が成就せず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのである。彼を恐れることはない。

ラッセルは1914年に世界の終末が来ると教えていましたが、それは成就しませんでした。この基準からすると、ラッセルの預言は聖書の言う「偽預言」に該当すると考えられます。


② ラッセルの預言が外れた例

ラッセルだけでなく、エホバの証人組織は何度も終末の年を予言し、そのたびに修正してきました

預言の年内容結果
1874年キリストの「見えざる臨在」開始後に1914年に修正
1914年世の終わり、神の王国の地上支配開始外れたため教義変更
1915年1914年に起きなかった終末が起こる実現せず
1925年旧約の聖徒(アブラハムなど)が復活する実現せず
1975年ハルマゲドンが起こる可能性が高い組織が後に否定

これらは**明確な「偽預言」**のパターンに当てはまります。特に、1975年の預言の失敗は多くの信者の離脱を招きました。


③ エホバの証人の組織は預言の失敗をどのように説明しているか

エホバの証人の組織(ものみの塔協会)は、これらの失敗について「人間の誤解だった」「忠実なクリスチャンは時に間違いをする」と説明しています。
しかし、聖書は「神からの預言」が間違うことはないと明言しているため、「単なる誤解だった」という言い訳は通用しません(民数記23:19)。

民数記23:19(新共同訳)

神は人間ではないから、偽ることがなく、人の子ではないから悔いることもない。約束されたことであれば、実行されないだろうか。語られたことであれば、成し遂げられないだろうか。

つまり、神が本当に啓示したのであれば、預言は必ず成就するはずです。したがって、エホバの証人の預言の失敗は、神からのものではないことを示しています。


④ 結論:聖書の基準に照らすと偽預言

ラッセルとその後継者たちは「キリストの再臨」と「終末」の年を預言した
しかし、それらは何度も外れた
申命記18:22の基準によれば、「実現しなかった預言」は偽預言とされる

このことから、エホバの証人の預言は聖書の基準に合致しない「偽預言」と言えるでしょう。

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